『最果タヒ展 われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。』三菱地所アルティアム
最果さんの名前をネット上で知っていたものの詩を読んだことがなく、関東の方で行われた展覧会の画像を見ていたのでどんなものだろうかと気になって行ってきました。
地下2階のイムズプラザをメインに、レストランフロアなどにも詩が点在していました。エスカレーターに乗って下を見ていたら詩が目の前をスルスルと流れて行くという初めての体験もできました。自分のペースじゃないペースで読む詩はちょっと新鮮です。
イムズプラザの展示はパッと見、コピーのように見えるけど詩の展示。クリスマスやバレンタインはこういうオブジェがあるよな~と違和感がなく自然に見えるけど、コピーのように見た人の商品の購入意欲を盛り上げよう!みたいな役割を持つ言葉ではない。詩がいつもの日常にするりと入り込んでいて不思議。
そして会場へ。
丸い輪っかの内側に立って読む詩は、どこが始まりか分からぬまま読み始めてぐるりと一周、二周しました。かくかくしている方もどこから読むのか人によって違います。読んでいる人の動きが面白い詩。
続く部屋には空調で揺れるたくさんの詩のモビール。ネットで見たのもこんな感じでした。
一つ一つの飾りに書かれた一節は小説から抜き出してきたような文章で「詩と小説の違いって何だろう?」「詩って何だろう?」という気持ちでいっぱいに。
たくさん読めば何か分かるのではないかと始まりも終わりも分からない言葉の間に入っていってぶつからないようにゆっくり動きます。
全部見えているはずなのに目に入ってくる詩は自分が日頃気にしていることのように思えてちょっと怖くなりました。
明るい詩を探さねばと躍起になるものの、風でクルクルとひるがえる詩を見ていたら、だんだん明るいのも暗いのも同じくらい日常にあったりするもののように思えてきたり。
詩は私とは無関係にそこに存在しているけど、私の感情フィルターを通して見ると意味を持つ、みたいな。詩を選ぼうとしている自分がいる。
別の日に見てみたらまた違う詩の風景が現れるのかもしれません。
目的の物を買ったらすぐに帰る。寄り道は好ましくないもの。
コロナ禍で染みついた自分なりの行動規範があります。
美術館やギャラリーで展示を観るのは今の自分にとってとても贅沢な時間の使い方であり、心のどこかに罪悪感を感じるものでもあります。
自分の中にはない何か分からないものを理解したいと思いながらじっと見る。
何かに効くとかそんなことはないかもしれないけれど、こういう時間は必要だなと思ったらぽろっと涙がこぼれました。
そして詩のことが分からなすぎでミュージアムショップで公式ガイドブックを買い、読んでみて、ますます分からないのでもっと詩が読みたくなりました。
アートもこれが一番美しいというものがないように詩の世界もこれが詩だという正解がないのかもしれません。
イムズプラザなど詩のインスタレーション作品は2020年8月30日まで!
三菱地所アルティアムでの展示は2020年9月27日まで。