仏像鑑賞はライブに似ている 運慶展
17時すぎでしたがまだ人はたくさんいる模様。
運慶展の列に並ぶこと20分弱、いよいよ東京国立博物館の平成館へ。
コインロッカーが空くのを待った後、二階の会場へ。
運慶展は入った瞬間から人の多さに回れ右をしたくなりましたが
運慶の父、運慶、運慶の息子という流れで作品が展示してあって分かりやすかった!
興福寺の無著の瞳が好きで顔ばかり見てしまうけど、
手に血管が浮き出てるのを今回発見。
周りにあった四天王像の方がやや誇張されている気がしました。
六体の童子像と宝塔をずいっと掲げる多聞天も良かった。
こんなにドラマティックに宝塔を掲げてる多聞天は他にあるのかなぁ。
運慶の息子である康弁の龍燈鬼立像はこち亀の両さんのようなユーモラスな顔をしているので顔の印象が頭に残るのでご存知の方も多いはず。
今回まじまじと見てみると、龍燈鬼は筋肉がしっかりついたたくましい身体をしているのでした。まるで山笠の山車を担ぐ男性のようにお尻が引き締まっています!
運慶もすごいけど一門もすごい。
人に近い形をしているけど、拝みたくなるような「ヒトじゃないもの」らしさもしっかりある仏像をたくさん見ることができた展覧会でした。
運慶展で考えていたのは、
お堂はライブハウスで東博はドーム公演なのかもということでした。
お堂で見てると外の風が入ってくるし、
外の光と屋内の暗がりのコントラストを感じるし、
数百年守られて来たものと狭い空間のなか同じ空気を吸ってる!
わたしが今生きているからこそこの出会いがあるんだなぁ!
という、一期一会なところにテンションが上がるのです。
東博ドーム公演の場合は人の多さに辟易しつつも、
自分の好きなものがこんなにたくさんの人に好かれている、
又は興味を持たれている!というのが確認できるのが嬉しいのかも。
お堂では見られないことも多い背面が見られるのもポイント。
像の周囲を回って自分だけのベストな表情を探すのも楽しい。
(この角度だと全然違う表情を見せるぞ!これこそがこの像の本性では?など)
人垣が四五重なことを除けば、博物館の方が光の当たり方も調整してあるから
お堂で見るよりもはっきり見えるのも良い。
何でこんなことを考えたのかと考えてみると、
奈良で見てるから、わざわざ東京まで行って見なくていいじゃん!
という気持ちを納得させたいからかも。
どちらにも良さがあるからどちらも見たい。
同じ像でも素敵な像は何度でも見たい!……仏像鑑賞はライブと似ている。